大阪高等裁判所 昭和48年(行コ)22号 判決 1974年12月25日
原告(被控訴人、付帯控訴人)
喬阿才
右訴訟代理人
川西渥子
被告(控訴人、付帯被控訴人)北税務署長
泉茂
右指定代理人
塩見澄夫
外三名
主文
原判決中被告敗訴部分を取消す。
右部分についての原告の請求を棄却する。
原告の付帯控訴を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。
事実
(原判決主文)
一、被告北税務署長が昭和(以下略)四〇年八月三日付でした原告の三九年分所得税の総所得金額を金一、二二八、四四五円とする更正(異議申立に対する決定により一部取消されたのちのもの)のうち、金一、一〇一、六〇三円を超える部分を取消す。
二、原告の被告北税務署長に対するその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、原告と被告北税務署長との間においては、原告に生じた費用の三分の一を同被告の負担、その余は各自の負担とし、原告と被告大阪国税局長との間においては全部原告の負担とする。
(請求の趣旨)
被告北税務署長が四〇年八月三日付でした原告の三九年分所得税の総所得金額を金一、二二八、四四五円とする更正(異議申立に対する決定により一部取消されたのちのもの)のうち金九一四、二〇〇円を超える部分を取消す。
(不服の範囲)
原、被告の各敗訴部分
(当事者双方の主張)
次のとおり付加する外は原判決事実摘示のとおりである。
原告の主張
1、原判決は今西昇の所得を原告の所得算定の唯一の根拠としているが、両者は同じ天神橋筋にあつてもその立地条件設備外観に差があるのでこの算定は不当である。原判決のいう理容椅子と従事人員の類似する同業者は数多く、むしろ平均的規模の店舗が多いのであるから、この類似性で推計することなく、立地条件、客筋設備等の差異を重視すべきである。
2、被告は同業者三名の所得からの推計を主張しているのに、その中の一人である今西昇の所得のみで原告の所得を認めるのは弁論主義に反する。
3、被告のいう実調率についてはその根拠となつた店舗を明らかにしないので原告は反対尋問も出来ず反証の機会も封じられている。その調査は、所得の申告が被告からの種々の干渉の結果なされている実情からみて真実の所得を反映せず、被告に有利になされた調査であることが十分推測される。
被告の主張
1、理容椅子台数と従事員数が極端に異なる場合は理容椅子台数を以て推計の根拠となすことはできないが、椅子が常時満席ということはないのであつて業者は常に忙しい時期、日、時間というもの、更には顧客をふやすことを念頭において理容椅子台数や従事員数をきめているのであるから理容椅子九台に従事員七人というような若干の差は考慮すべきものではない。又原告は老令であり、喬君子は幼児を抱えていた、久保田八千代は三九年に出産した、といつてその労働力を各自0.5人前として実働七人であると計算するのは合理性がない。久保田八千代の出産は十一月六日であつたから少くとも九月までは働けたのであり、同業者の今西は五九才で同業組合の副支部長という役職にあたつし、家事をなすべき同人の妻も従業員であつたから、この能力換算をしなければならなくなる。
2、被告が推計の根拠として提出した所得税の青色申告決算書である乙二号証の一、二の作成名義人Aは、その同意が得られなかつたので氏名を開示できないのであるが、これは被告が大阪国税局長に送付した報告文書の内容をなしていることは表紙等に被告の割印がなされていることで明らかである。原告はこのAの氏名が明らかにされねば反対尋問もできないというが、原告はこの書証の内容の信用性を直接攻撃できなくとも、その内容に反する証拠を外部に求めることも可能であろうし、自己の事業内容を明らかにすることにより、Aの所得を自己の所得の推計根拠とすることの適切でないことを立証できるのであるから、Aの氏名が明らかでなくとも被告が自己の管内にかような同業者が存在するという報告の公文書として証拠能力を許容さるべきである。民訴法の規定以外に、信義則という一般原則を持出し書証の証拠能力を封ずることは許されない。
訂正
原判決八枚目表一二行目の「次にと」あるのを「次々に」と訂正する。
(証拠)<略>
理由
一原告の請求原因1の主張事実、被告の処分の適法性についての1の(2)、(3)、(4)の主張事実は当事者間に争がない。
二そこで本件の争点である被告が更正処分によつて判定した収入金額について判断する。
弁論の全趣旨によると原告は理容業を営んでいたが、その収支を明記した書類を作成していなかつたか作成していても全然これを提出せず、他に原告の三九年度の所得を確認するに足る資料がなかつたので、被告がその所得確定の方法として推計課税の方法をとらざるを得なかつたことが認められる。この方法は推定による計算であるから可能な限り実体に近接しておれば足りるものであり、被告がその具体的指標として原告方の理容椅子の台数をその根拠したことは妥当といわねばならない。また椅子の設置があつてもこれに相応する従業員がいなければ収入は生じないのであるから、その従事人員数も考慮する必要があるのは当然である。
<証拠>によると、次の事実が認められる。
1、原告が営んでいた理容院富士は国鉄天満橋駅の北側で、同駅に近いところにあり、人の流れは劇しく、商売上の立地条件は他に勝るとも劣つてはいない。
2、原告は三七年頃からここで理容業を営み、三九年当時は右店舗に理容椅子九台を設置していて従事者は原告と、原告の長男の治能、次男の治超、次男の妻の久保田八千代、雇人の田原則子、土屋和子、瀬戸口金蔵、西田謙吾の八名の免許をもつ有資格者と同年一〇月に免許をとつた仁科伸一、免許の有無の判然としない、高義公、高勝巳、短期間づつ在職した松原某、松元某、佐藤某、村上某と長男治能の妻君子が手伝いをしていた。これらの雇人らは出入りはあつたが、原告の一族以外の従事者が常時五、六人いた。
3、原告は当時六二才であり、長男治能の妻君子は生後一年の幼児を抱え、次男の妻は三九年一一月六日女児を分娩した身体でともに一人前の仕事が出来る身体ではなかつた。
4、原告はその後は脱退したが、当時は同業者の組合に加入し、男子大人一人の調髪料三五〇円を標準とする組合の協定料金をとつていた。
5、理容業界は三十年代が好況のピークで四十年代に入ると若者の理髪需要が減り収益は下降線を辿つたが、原告は店の設備に余り投資をしていなかつた。また原告の理髪師資格取得は可成り古いが戦後はパンの販売その他種々な営業を営み富士の開業も三七年で四二年には廃業している。
6、被告が推計課税の根拠とした今西昇は天満駅の南側の天神橋筋二丁目六番地で今西理容院を営んでいるが椅子は七台で従事者は同人の外妻と雇人五名であつた。天満駅の南側はその北側に比べ人の流れが少く、いわゆる商売上の賑やかさは北側に及ばない。しかし同人の三九年中の収入は三〇五万一三五〇円で椅子一台当り四三万五九〇七円従事員一人当りも同じ金額であつた。尚原告の店と今西の店とは距離は約一粁ある。
7、同じく被告が推計課税の根拠とした加藤康治は当時原告方より1.5粁以上も離れた北区梅ケ枝町九五番地で理容加藤というのを営んでいたが、そこの理容椅子は六台で従事者は本人の外弟と雇人五名の七名で三九年の収入は三八五万八八九〇円で椅子一台当り六四万三一四八円、従事者一人当り五七万一二七〇円であつた。同人は椅子一台い一ケ月の収入は大体五万円であるといつている。
8、もう一人被告が推計課税の根拠としたAという者が作成提出した青色申告書(乙五五号証の二、これは同人の承諾がないため被告はA氏名を明らかにしていないが、その内容は真実を申告しているものと認められる)によると、同人の営業所はやはり北区天神橋筋にあり、理容椅子は六台で(従事員は判明しない)、三九年の収入は四〇八万七三七〇円で椅子一台当り六八万一二二〇円である。
9、乙一一号証の二から乙五二号証の二までの間にある同業者調査表は四三年七月大阪国税局長が管内のA級税務署長に命じ、管内の理容業者の中三九年度の申告につき実地調査を行つた青色申告者、実額調査を行つた白色申告者の収入金額、理容椅子等を報告させたもので、その報告のあつた大阪市内の二〇例の収入をみると、椅子一台につき最低三〇万円から高最八三万円の差があり、その平均は一台当り約五一万八〇〇〇円である。又大阪市以外の一八例の平均は一台当り四五万円強である。
10、原告を含む当時の理容業者は週一回の休日をとり正月休み等をとると年間の実働日数三〇〇日から三一〇日、一日の営業時間は十一時間で、どの理容業者も大体同じであつた。
以上のことを認めることができ、以上の認定に反する前記証人喬治能の証言の一部は措信しない。尚原告は前記8のAという者が作成した青色申告書は作成名義人の氏名が明らかにされず、原告に反対尋問の機会なく証拠たり得ないというが、この文書はその方式趣旨により公務員である被告が大阪国税局長あてに提出した公文書の一部であつて被告が申告者より真正に作成されたものとして受理していることが認められているので、証拠たりうるものであり、形式的証拠力がないという原告の主張は採用できない。裁判所はその内容の信憑性を判断すれば足りるといわねばならない。原告が申告者について反対尋問ができないのは被告がその守秘義務を守つているためであつてやむを得ないといわねばならない。
三以上の認定事実によると三九年当時の原告の経営規模は理容椅子が九台で、その従事員は一人前の能力を有する者六名に、原告の能力を五〇%、久保田八千代の能力を七〇%、喬君子や免許のない者の能力を合せて一〇〇%強とみることができるので、それらを合計すると、従事員は8.2人強となり、通常の理容店の理容椅子に対する従事員に匹敵するので、この理容椅子台数を以て推計した被告の方法は正当といわねばならない。
次にその理容椅子一台当りの収入であるが被告の主張するA、今西、加藤の収入を椅子で平均すると一台当り六三万円余となり、被告の主張する五八万六〇〇〇円をこえているが、これらの業者の立地条件、経営規模は原告と似ている点もあるが、原告の店舗の設備が余りよくなく、結局廃業に至つたこと等を考えるとこの数字で推計するよりはむしろ前記9で認定した大阪国税局長が税務署長に報告させた大阪市内の理容業者二〇例の収入平均である椅子一台につき約五一万八〇〇〇円より更に低い五〇万円と推定すべきである。そして、本件では他にこれをくつがえすに足る資料がないから、右推定額に椅子台数九を乗じた四五〇万円を以て原告の三九年度の収入と認める。
この点につき原告は、斯様な推計に合理性はなく、原告の具体的事情に応じて算定すべきものであり、被告の主張は単なる見込み課税であると主張しているが、原告が収入について正確な記帳による報告をしない以上被告は推計課税をせざるを得ないので、この推計課税を以て根拠のない単なる見込み課税ということはできない、被告が訴訟中に於て一部金額を変更しても、それは推計課税故に生じたことであつて違法とはいえないのでこの主張は採用できない。又被告が実調率による推計の合理性を主張しても故意又は重大な過失によつて時機におくれた攻撃、防禦方法とか不合理なものということはできないので原告のこの点に関する主張も採用できない。
四原告の三九年の諸経費合計が被告主張1の(2)(3)(4)の合計一九四万九七四六円であつたことは当事者間に争がないので、これを前記四五〇万円より引くと二五五万〇二五四円となり、被告の更正決定額一二二万八四四五円より多いことは明らかであるから、この更正決定に違法はなく原告の本訴請求は失当といわねばならない。
よつて原判決の原告の請求を棄却した部分は正当であるが認容した部分は失当であるからこれを取消し、この部分についての原告の請求を棄却すべく、従つて又付帯控訴も棄却することとし訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(前田覚郎 菊地博 中川敏男)
【参考 原審判決】
大阪地裁昭和四一年(行ウ)第八一号
当事者の氏名は控訴審と同じ、但し外に大阪国税局長が加つている。
主文
一、被告北税務署長が昭和四〇年八月三日付でした、原告の三九年分所得税の総所得金額を金一、二二八、四四五円とする更正(異議申立に対する決定により一部取消されたのちのもの)のうち、金一、一〇一、六〇三円を超える部分を取消す。
二、原告の被告北税務署長に対するその余の請求および被告大阪国税局長に対する請求を棄却する。
三、訴訟費用は、原告と被告北税務署長との間においては、原告に生じた費用の三分の一を同被告の負担、その余は各自の負担とし、原告と被告大阪国税局長との間においては全部原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告北税務署長が昭和四〇年八月三日付でした原告の昭和三九年分所得税の総所得金額を金一、二二八、四四五円とする更正(異議申立に対する決定により一部取消されたのちのもの)のうち金九一四、二〇〇円を超える部分を取消す。
2 被告大阪国税局長が昭和四一年五月二六日付で原告の右更正処分に対する審査請求を棄却した裁決を取消す。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一、請求原因
1 原告は理髪業を営んでいた者であるが、昭和三九年分所得税につき昭和四〇年三月一五日被告税務署長に対し総所得金額を金九一四、二〇〇円として確定申告したところ、同被告は同年八月三日これを金一、六八三、七〇〇円に更正し、そのころ原告に通知した。原告は同年九月二日同被告に異議申立をしたところ、同被告は同年一〇月一一日右更正を一部取消して総所得金額を金一、二二二八、四四五円とする決定をしたので、原告はさらに同年一一月一一日被告国税局長に審査請求をしたが、同被告は昭和四一年五月二六日これを棄却する裁決をなし、原告にその旨通知した。
2 しかし原告の昭和三九年分総所得金額は確定申告のとおりであつて、被告税務署長の更正は調査によらず、単なる推測により原告の所得を過大に認定し見込み課税をした違法があり、被告国税局長の裁決は理由不備の違法があるから、これの取消を求める。
二、請求原因に対する被告らの答弁
請求原因第1項は認め、第2項は争う。
三、被告らの主張(処分の適法性)
(被告税務署長の主張)
1 原告の総所得金額(事業所得の金額)の算定は次のとおりである。
(1) 収入金額 五、一五七、〇〇〇円
(2) 一般経費 六二六、〇七六円
(3) 特別経費 一、二三七、三七〇円
(4) 事業専従者控除額 八六、三〇〇円
右(1)から(2)(3)(4)を差引くと、所得金額は金三、二〇七、二五四円となる。
2 右のうち収入金額については、被告税務署長の調査に対し、原告は事業の帳簿書類等の記録保存はしていないとしてこれを提示せず、質問にもあいまいな応答しかしなかつたため、実額による計算ができなかつたので、以下に述べる方法により推計を行なつた。
理髪業においては一般に同業組合の標準料金が定められているので、収入金額は顧客数に比例し、顧客の多寡に応じて理容椅子の台数や従業人員数がきまつてくる関係にあり、ことにその中でも理容椅子台数は客観的把握が容易であるから、理髪業者の収入金額の推計は、同業者の椅子一台当りの平均収入金額を基準として、他の諸条件を補充的に勘案してこれを行なうのが最も合理的である。本件では、原告と立地条件や営業規模の近似する同業者で昭和三九年分につき青色申告書により確定申告をしている者三名を選定し、その者の申告にかかる事業実績から理容椅子一台当りの年間収入金額を算出したところ、次表のとおり平均五八六、〇〇〇円であつた。
同業者名
A
今西昇
加藤康治
平均
店舗所在地
大阪市北区
天神橋筋
同区天神橋筋
二丁目六
同区梅ケ枝町
九五
店舗面積
一〇坪
一〇坪
八坪
従業人員
7名
7名
6.6名
理容椅子台数
六台
七台
六台
年間総収入金額
四、〇八七、
〇〇〇円
三、〇五一、
〇〇〇
三、八五八、
〇〇〇
椅子一台当り
年間収入金額
六八一、
〇〇〇円
四三五、
〇〇〇
六四三、
〇〇〇
五八六、
〇〇〇
右三名の同業者と原告との事業経営上の諸条件を仔細に比較検討すると、先ず原告の店舗は国鉄天満橋に近く、天神橋筋商店街の中では最も繁華な場所に位置しているのに対し、同業者Aの店舗は天神橋筋商店街から僅かにそれた場所にあり、今西昇は天神橋筋の中では場末に近く、また加藤康治の店舗は梅ケ枝町で原告の店舗からは約一粁離れたところにあり、立地条件としてはいずれも原告よりやや劣つている。次に事業規模をみると、原告の店舗は面積16.8坪、従業人員八ないし一〇名、理容椅子台数九台であるから、右三名の同業者と対比し、原告の方がやや規模が大きい。店舗の一般的設備とか一日の営業時間、年間営業日数、理容料金等についてはほとんど差はない。このような点からみれば、原告の理容椅子一台当りの効率が同業者三名のそれを下まわつていたとは考えられないから、右同業者の椅子一台当りの平均年間収入金額五八六、〇〇〇円を原告に適用し、原告の椅子台数九を乗ずると、年間総収入金額を得ることができる。
かりに右同業者三名中Aを除外して、今西と加藤だけを基礎資料として理容椅子一台当りの収入または従事人員一人当りの平均年間収入金額を算出し、これを原告にあてはめて原告の年間収入金額を推計したとしても、あるいはさらに右三名中椅子一台当りの効率の最も低い今西のそれを基準にしたとしても、所得は異議申立に対する決定により減額された更正所得金額一、二二八、四四五円を優に上まわることは計数上明らかである。
3 原告の収入金額は次の方法によつても算定することができる。すなわち、大阪国税局管内八三税務署のうち大蔵省組織規程上、種別「A」とされている四三税務署管内の理髪業者で昭和三九年分所得の実額調査を行なつた合計三八事例によれば、理容椅子一台当りの平均年間収入金額は金四九四、二〇〇円、従事人員一人当りの平均年間収入金額は金四五三、一〇〇円であり(以下これを実調率という)、これにそれぞれ原告の理容椅子台数九または従事人員八を乗すれば、原告の年間収入金額は金四、四四七、八〇〇円または金三、六二四、八〇〇円という計算になる。
したがつていずれにせよ原告の所得は更正処分の額を超えることになり、その範囲内でなされた本件更正処分に違法はない。
(被告国税局長の主張)
4 審査請求を棄却する裁決において付記すべき理由は、原処分を正当として維持した判断の根拠を審査請求人に理解できる程度に記載すれば足りる。本件において被告国税局長の裁決に付された理由は、「請求人が提出した収支計算書については、その裏付となる原始記録その他証拠書類を提示しないので、これに基づいては正確な所得金額の算出ができない。そこでやむをえず従業員数、理髪椅子台数などから収入金額を推計すると、少なくとも四、三二八、六一〇円はあると認められる。所得率については処分庁が採用した同業種の一般的な標準を変更すべき特別な事由は認められないのでこれを採用し、さらに雇人費、減価償却費、地代および支払利息を控除して計算したところ、所得金額は原処分を上回る。なお過少申告加算税の賦課決定処分についても誤りはない。」というものであつて、原処分を正当として維持した判断の根拠を十分に理解することができ、裁決に理由不備の違法はない。
四、被告らの主張に対する原告の答弁
1 被告らの主張第1項(1)を否認し、(2)ないし(4)は認める。
2 同第2項のうち、原告の有した理容椅子台数が九台であることは認めるが推計を争う。
被告税務署長の挙げる三名の同業者のうち、「A」なる者はその氏名も住所も明らかにされないのであるから、これを推計の資料とはなしえない。とすると残るのは二名であるが、数多の同業者の中で何故に加藤と今西の両名のみが原告の収入推計の根拠となるのかが明らかでない。他方、原告側の事情をみるに、原告の店舗における従事人員数は延べにすると八名であるが、そのうち原告自身は老令のためほとんど仕事をせず、原告の子である喬治能と喬治超は昼夜交替で二人で一人分しか働いておらず、右両名の妻である喬君子と久保田八千代はいずれも妊娠中で働ける状態になく、実働者が少ない実情にあつたため、原告の理容椅子九台の約半数は遊休椅子であり、店舗の設備や外観もよくなかつたため、営業成績はきわめて悪かつた。このことは、その後原告が同業組合から脱退し料金の値下げをしたりしたことからも裏付けられる。理髪業者の収入は、単に理容椅子台数だけでなく、設備の良否、雇人数、立地条件等種々の要素によつて左右されるものであり、同業者の椅子一台当りの収入金額をそのまま原告に適用し原告の収入金額を算出するのは、合理的な推計とはいえない。のみならず被告税務署長は原処分時における推計の根拠を全く明らかにせず、本訴において原告の総収入金額を最初は金五、三四六、〇〇〇円と主張し、次にこれを金五、一五七、〇〇〇円に変更したが、その後さらに椅子一台当りの収入金額の主張を変更したから、これによれば総収入金額は金五、二七四、〇〇〇円ということになるのであるが、このように金額が次々と変転するのは、被告税務署長が原処分時において単なる推測で見込み課税をしていたか、或いは原処分時の推計根拠を一度ならず変更したことを意味し、違法であるといわねばならない。
3 被告らの主張第3項は時機に遅れた攻撃防禦方法の主張であるから、民事訴訟法一三九条により却下されるべきである。また被告税務署長が本訴において北区内の同業者三名を資料とする推計から、近畿地区三八名の同業者を資料とする推計に変更することは許されない。なお右三八名は、従事人員が2人から21.3人まで、理容椅子も三台から一六台までに分布しており、推計の基礎資料としての相当性を有しない。理容業者は大阪府下だけでも七〇〇軒を超えているのに何を基準にして近畿地区から三八軒を抽出したのかも不明であり、とうてい合理的な推計とはいえない。
4 被告らの主張第4項における裁決に付記すべき理由に関する主張は争う。被告国税局長の裁決は、更正の根拠を明らかにすることなく原告の審査請求を棄却した点において理由不備である。
第三 証拠<略>
理由
一 請求原因第1項の事実は当事者間に争いがない。
二 まず被告税務署長の更正処分について判断する。
1 被告らの主張第1項中(2)(3)(4)は当事者間に争いがないから、本件の争点は収入金額の推計の適否という一点に帰することとなる。
2 <証拠>によれば、原告は昭和三九年当時営業に関する帳簿はほとんど何も備えていなかつたことが認められるから、収入金額の実額認定は不能であり、推計によつてこれを算定するほかはなかつたといわなければならない。
3 そこで被告税務署長主張の推計方法が合理的であるかどうかについて考えるに、同被告主張の第一次的な推計方法は、原告と同じ北区内に店舗を有し立地条件や営業規模の近似する同業者で青色申告をしている者三名を選んで、その理容椅子一台当りの平均年間収入金額を算出し、これを原告に適用して原告の年間総収入金額を推計するものであるが、かかる椅子一台当りの効率による推計方法は、理容業のように専ら人的サービスに終始し、物品の移転を伴わず、収入は顧客の多寡に比例するという業種においては、一般的にいつて最も合理的な方法と考えられる。もつともこれは椅子の台数と従事人員数とが見合つている場合にいえることであり、後述するように椅子の台数より従事人員が少ないときは遊休椅子があることになるから、右の推計方法は妥当とはいいがたく、むしろ従事人員一人当りの収入金額により推計する方がより合理的だというべきである。
4 ところで右の推計方法は、そこで用いる効率を導き出す基礎となつた同業者の選択が合理的になされていると認められることが不可欠の前提であり、そのためには、その同業者の営業規模や立地条件など所得に影響を及ぼす諸条件が原告のそれと比較できる程度に明らかにされることを必要とする。しかるに本件において被告税務署長の主張する三名の同業者中の一名「A」については、その経営規模や事業実績を立証するために、同被告が提出している乙第二号証の一、二は、作成名義人の氏名が塗りつぶされた青色申告書であつて、このように作成名義人を隠した文書を書証として提出すること自体、そもそも許されないし、その成立の立証も不可能であるといわねばならない。のみならず、「A」の氏名が明らかにされず、その住所も大阪市北区天神橋筋とあるのみであるところ、成立に争いのない甲第三号証の一、二に、証人喬治能の証言を考え合わせると、天神橋筋三丁目から六丁目までの区域内に、原告を含めて十数軒の理髪業者が営業していたことが認めらるれのであるから、「A」なる業者がそのうちの何れの者であるかを確認することができず、従つて「A」と原告との立地条件の優劣、経営規模の大小、事業実績等について、被告税務署長援用にかかる証人の供述のみを信用するほかないことに帰し、原告としては、これに対する反証を挙げる手段を有しないことになる―少なくとも、反証を挙げるについて極めて困難になる―といわねばならないのであつて、訴訟の相手方から反証を挙げる手段を封ずることに帰するような主張および証拠を許容することは衝平の見地からみても、また訴訟における信義則から考えても、到底これを是認することができない。
もつとも、所得税法第二四三条には、所得税に関する調査に関する事務に従事した者が、その事務に関して知ることのできた秘密を洩らした場合には刑罰に処する旨規定されており、従つて、納税者の提出した青色申告書を、その納税者の承諾なく他の納税者との間の訴訟における書証として提出する場合には、右法条違反の責を負うに至る懸念があるからこそ、被告税務署長は右申告書に記載された申告者の氏名と住所の一部を塗りつぶしていると考えられるのである。しかし、同被告に他の納税者の秘密を保持する必要があることから、直ちに前説示の判断を左右することができない。なんとなれば、他の納税者の秘密を保持する義務があることの理由をもつて、他の納税者に前示のような訴訟上の不利益を甘受させねばなならい理由を導き出すことが許されないからである。被告税務署長としては、右申告書を書証として提出しようとする場合には、すべからく申告者の承諾を得られるように努むべきであり、しかもなお承諾を得られないときは、その申告書を書証として提出することを断念せざるを得ないものであると考える(なお無作為に数十例数百例を抽出蒐集した統計値の場合は自ら別論である)。
残る二名うのち加藤康治は北区梅ケ枝町のいわゆる事務所街に理髪店を持ち、顧客の大半は会社勤めのサラリーマンであつて、天神橋筋商店街で営業する原告とは立地条件も客筋も全く異なるものと認められる(証人加藤康治の証言)から、これを原告の所得推計の基礎資料とするのは適当とはいいがたい。今一人の今西曻は、後に認定するように原告と同じ天神橋筋に店舗を有し、立地条件、客筋の点でも、理容椅子台数、従事人員数など営業規模の点でも、原告のそれと比較的似通つていると認められるから、これを原告の所得推計の基礎資料とするのは相当であり、結局被告税務署長の挙げる三名の同業者のうち本件の推計に用いることができるのは今西曻のみであるということになる。
5 <証拠>によれば、今西は天神橋筋ではやや場末に近い二丁目で理髪店を営み、昭和三九年当時における理容椅子台数は七台、従事人員は七名で、年間営業日数は約三一〇日、一日の営業時間は午前九時から午後八時まで、料金は同業組合で申合わせた額により、同年の収入金額は青色申告添付の損益計算書では金三、〇五一、三五〇円であつたことが認められるから、同人の理容椅子一台当りおよび従事人員一人当りの収入金額はいずれも金四三五、九〇七円となる。他方証人喬治能の証言によれば、原告は国鉄天満駅に近く、天神橋商店街の中では最も繁華な四丁目に店舗を有し、理容椅子は数年前までは一一台あつたが、順次減らして昭和三九年には九台であり、年間営業日数、一日の営業時間、理髪料金等は今西について述べたのとほぼ同じであることが認められる。最も問題なのは原告方の従事人員数であつて、<証拠>によれば、当時原告方の営業に従事していたのは、家族からは原告、長男喬治能、その妻喬君子、次男喬治超、その内妻久保田八千代の五名、家族以外の常雇の職人として瀬戸口金蔵、原田則子、土屋和子の三名であり、ほかに繁忙期には臨時雇の職人もおいていたので、延べ人員は九名前後になるが、このうち原告本人は当時六二才位で、まだ引退したわけではないけれども息子に任せて必ずしも十分な仕事をせず(証人定久昭の証言によれば、原告の本件異議申立の審理においても、原告の稼働量は五〇パーセントと判断されていることが窺われる)、喬君子は前年の昭和三八年七月一一日に生まれた幼児をかかえ、また久保田八千代は昭和三九年一一月六日に出産しており、いずれも十分な稼働力を有しなかつたものであることが認められるから、原告、喬君子、久保田八千代の労働力を各0.5とし、臨時雇の職人も年間通じて平均一人いたとまでは認めがたいのでこれも0.5人として、原告方の従事人員は結局実働七名と認めるのが相当である。証人定久昭は、異議申立当時原告は家族以外の常雇四名、臨時雇1名ないし1.5名と申述していたと証言するが、その氏名は明らかにすることができないのであつて、証人喬治能の証言と対比し、たやすくこれを信用することはできない。してみると、原告方では九台の椅子に対し七名の人員しか配置していなかつたわけで、常に遊休椅子があつたことになり、この場合被告税務署長の主張するような椅子一台当りの収入金額は過大に失し、むしろ従事人員一人当りの収入金額による推計を行なうのがより合理的である。推計の資料となるのは今西曻の一例だけであるけれども、前述のように同じ天神橋筋でも原告は中心部で今西は場末に近く、なお近隣の競業関係も今西の方が厳しい状況にあり(証人今西曻の証言)、立地条件としては原告がかなり優位にあると認められ、他に原告の方が劣るような条件も見当らないので、今西の一例のみをもつて右の方法で推計しても、原告に有利でこそあれ、不利になるとは考えられない。そこで今西の事例から得た従事人員一人当りの収入金額四三五、九〇七円に原告方の従事人員数七を乗ずると、金三、〇五一、三四九円という額が得られる。
6 被告税務署長は、第二次的に実調率による推計をも主張しているがこれについては明らの立証もない。
7 原告は、被告税務署長の主張金額が変転したことをとらえて見込み課税であるとか、推計根拠を変更したもので違法であるなどと主張するが、推計課税においてはその基礎資料を確定する段階で些少の金額の変動は免れないところであつて、これを見込み課税というのはあたらないし、推計根拠の変更があるわけでもない(推計根拠の変更があつたとしても、そのこと自体は別に違法なことでない。課税処分取消訴訟で処分の実体的違法が争われているとき、審判の対象となるのは租税債務の存否いかんであり、所得認定のための資料は更正当時判明していた事実であると否とにかかわらず、時機に遅れたものでないかぎり主張することが許されるべきである)。
8 よつて前記5で認定した金三、〇五一、三四九円をもつて原告の昭和三九年の総収入金額と認めるべく、当事者間に争いのない一般経費、特別経費および事業専従者控除額をこれから差引くと、事業所得の金額は金一、一〇一、六〇三円となり、原告の総所得金額を金一、二二八、四四五円(異議申立に対する決定後の額)と更正した処分は、右金一、一〇一、六〇三円を超える限度では所得の認定を誤つた違法があるといわなければならない。
三 つぎに被告国税局長の裁決について判断する。
原告は右裁決は理由不備であるというが、裁決に被告国税局長の主張するような裁決理由が付されていたこと自体は原告も明らかに争わないのであつて、原処分を正当として維持した根拠の説示に欠けるところはなく、裁決理由としてはこれで十分であり、裁決には何らの瑕疵もない。
四 以上によれば、原告の被告北税務署長に対する請求は、総所得金額一、一〇一、六〇三円を超える限度では理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべく、被告大阪国税局長に対する請求は全部理由がないものとして棄却すべきである。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(下出義明 藤井正雄 柳田幸三)
下出義明
CA5_WLJP_JN001123下出義明藤井正雄
CA5_WLJP_JN009161藤井正雄柳田幸三
CA5_WLJP_JN024166柳田幸三